円心モロどん

第一回スタンプラリー参加店

赤松円心

赤松円心僧姿

鎌倉から南北朝時代にかけての武将で、自ら「悪党」と呼んでいた赤松円心。
後醍醐天皇側につき鎌倉幕府打倒に加担したが、南北朝時代には足利尊氏につき天皇側を滅ぼすため加担する。この一見矛盾した行動により、彼は「逆賊」ともいわれる。
しかし、そこには時代の先を読もうとした姿勢が見え隠れする。

悪党赤松円心は、
教養があり、人望があり、先見性があり、戦術にたけ、信仰心が厚く、非常に魅力的だった…


赤松円心の武者姿
赤松円心武者姿 赤松円心僧姿


赤松円心の書籍









赤松円心、躍動す!

足利尊氏が、『楠木正成と赤松円
心。その2人だけは敵に回したく
ない』と思わせた赤松円心とは?




『BanCulバンカルNo.78 2011年冬号』


北方謙三著『悪党の裔』 中公文庫





赤松円心則村

伝承によると、ここ「赤松村」にひとりの地頭代官が送り込まれたといわれている。佐用荘の地頭職山田則景の四男、家範である。彼はこの地で名前を「赤松」と変える。地名から名前をとるというのは当時の有力な豪族の常識であったようだ。そしてこの家からひとりの英雄が登場する。それが赤松則村(円心)、赤松家の四代目である。

北条氏が実権を握る鎌倉時代後期というのは、いわば専制政治の時代である。北条氏が実権を握り、北条氏とその家臣たちだけで政治が決定される時代だ。むろん時の天皇、後醍醐天皇がそれを面白く思うわけがない。もちろん武士たちも同様である。当時、幕府軍の大将であった足利尊氏さえものちに幕府に対しては反旗を翻し、京の幕府軍と刃を相交え、これを滅ぼしている。

そこで当然討幕の動きが起こる。「元弘の乱」と呼ばれるこの戦いに円心も参戦し、苔縄城で挙兵、京に攻め入り幕府軍と戦った。この参戦のきっかけは息子則祐が後醍醐天皇の皇子である護良親王に近侍していたからだといわれている。

かくして円心は護良親王とともにその後の南北朝時代の幕を開いた先駆者であるということができるが、政治力でいえば足利尊氏の方が格段に上だった。そこで南朝である天皇側と北朝である尊氏側の対立が起こる。円心は護良親王が後醍醐天皇によって鎌倉に幽閉された後、天皇と対立する尊氏に与する。その後南北朝の動乱が始まるのだが、円心率いる赤松軍の奮戦で北朝・尊氏側が南朝・後醍醐天皇側に勝利する。

ここで使われた城が今もその跡が残る「白旗城」だ。標高440メートルの山頂にあり、要害堅固なこの城は無敵だった。天皇側の勢力である新田義貞軍は50日間にわたってこの城を攻めたが結局攻め切れず、尊氏の室町幕府創設への道を開くことになる。円心はその活躍が讃えられて播磨守護職に任命され、まさしく「播磨の円心」となったのである。



関連リンク
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